小さなガラス瓶に並んだ赤い梅干し。
ざらりとした塩と、ふわっと漂う紫蘇の香り。
それは、祖母の台所の奥にいつもあった、
“手から手へと伝わる祈り”のような味でした。
「これは、手間をかけるほどおいしくなるんよ」
そう言って笑う祖母の手は、いつも赤紫に染まっていて、
その手のぬくもりごと、私は梅干しの味に刻まれて育ちました。
祖母から教わった“手づくり”の意味
祖母の梅干しは、
完璧な形ではなかったけれど、
どれもやさしくて、深くて、体にすっと沁みる味でした。
ひと粒でごはんが進むあの塩梅(あんばい)には、
ただのレシピには書ききれない“心の分量”があったように思います。
それはたぶん、
手をかけること=誰かを思うことという、
祖母なりの“ていねいさ”だったのかもしれません。
今、わたしが仕込む甘酒
いまの私には、梅干しほど上手に作れるものはありません。
けれど――
米麹とお湯をあわせて、
静かに時間をかけて育てる手づくりの甘酒が、
私にとっての「祖母の梅干し」なのだと思っています。
温度を見守り、香りを感じながら、
ときどきふたを開けてやさしく混ぜる。
誰かのため、というより、
“今の私”をそっと整えるための、小さな手仕事。
つながっていく味、つながっていく心
祖母の梅干し。
私の甘酒。
もし、これから私が誰かにこの味を渡すとしたら、
それはきっと、ぬくもりのバトンになるのだと思います。
塩気や甘さの違いはあっても、
どちらも、**「あなたを思って、手をかけた時間」**が詰まっている。
だからきっと、味だけじゃなく、
魂も一緒に届いていく。
最後に
手間をかけることは、少し面倒でもあるけれど、
その中にだけ宿る“静かな愛”が、たしかに存在しています。
祖母が私に残してくれた梅干しの記憶。
私が今、自分に仕込んでいる甘酒のやさしさ。
その両方が、今日のわたしを支えてくれている。
台所の片隅で、小さく続いていくこの営みが、
どこかでまた誰かをあたためてくれますように。
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