「もうちょっと塩を足したほうがいいかな」
「やっぱりレシピ通りじゃないとだめかな」
「こんな味つけ、変だと思われないかな」
料理をするとき、
そんなふうに“正解”を探してしまうことがあります。
でも、ふと思うのです。
“好き”って、それだけで充分なんじゃないかって。
味覚は「わたしそのもの」
わたしが「おいしい」と思う味は、
これまでの暮らしの記憶や、家族との時間、
自分が選んできた積み重ねのなかで育ってきたもの。
誰かと違っていても、
流行とちがっていても、
「これがわたしにとってのやさしさ」だと感じる味がある。
その感覚を信じられることは、
料理においても、人生においても、
とても自由で、安心できることなのです。
“正解”ではなく、“心地よさ”を頼りに
甘めの卵焼きが好き。
濃いめのお味噌汁が落ち着く。
ちょっと焦げたおにぎりの香ばしさがたまらない。
そんな好みは、誰にも決められないもの。
「こうしなきゃ」より、「こうしたい」
「みんなが好きな味」より、「わたしが好きな味」
そうやって、自分の「好き」を認めることは、
日々のごはんを、もっと自由に、あたたかくしてくれます。
“好き”を大切にすることは、自分を大切にすること
「この味が好き」
「この食感が安心する」
「この一杯が、ほっとする」
そんな小さな“好き”を見つめてあげることは、
自分の声に耳を傾けている時間でもあります。
それは、料理を通して行うセルフケアであり、
「わたしはこれでいい」と言える小さな自信にもなるのです。
最後に
味覚は、心の鏡。
今日のわたしがどんな味を「おいしい」と感じるかは、
誰よりも自分自身が知っているはず。
だから、もっと自由でいていい。
「この味が好き」と言えることは、
とても美しくて、すこし誇らしいこと。
どうぞ、今日の食卓でも、
あなたの“好き”にそっと寄り添ってあげてくださいね。
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