忙しくて心が置き去りになる日が続くと、
「私ってちゃんと生きているのかな」と
ふと思うことがあります。
でも、台所はそんな私たちに
「大丈夫、ここにいるよ」と教えてくれる場所。
味噌汁の湯気、切った野菜の香り、
小さな音や匂いが、
どんなときも私を“いま”に戻してくれます。
「手を動かす」ことで心がいまに戻る
台所で手を動かしていると、
頭の中でぐるぐるしていた思いが
すーっとほどけていく気がします。
春は柔らかいキャベツをシャキシャキ刻む音を聞きながら、
初夏はきゅうりの青さをポリポリかじりながら。
秋には大根をおろすときのシャリシャリした感触に触れ、
冬は煮物をコトコト煮込む湯気に顔を近づけて。
そんな何気ない時間に、季節がやさしく
体の中へと染み込んでいきます。
泣きたくなる夜も、
お米をとぐ水のさらさらした音に心がゆるみ、
炊飯器のスイッチを入れると
胸の奥がふわっとほかほかあたたまっていくようです。
「今日も私はここにいる」
そんなささやかな実感が、そっと胸の奥に
ぽかぽかと広がっていく時間です。
「食べること」は小さな祈り
あたたかいごはんを一口食べると、
体の奥がふわっとゆるんで息が整っていきます。
雨の朝に卵かけごはんをすする音、
しとしと降る雨音と混ざり合って、心を落ち着けてくれます。
冬の夜にお鍋を囲んでコトコトの湯気に顔を寄せると、
冷えていた心までぽかぽかしてくるのです。
「いただきます」と小さく手を合わせるその仕草は、
食材への感謝だけじゃなく、
自分に「今日もちゃんと生きていいんだよ」と
やさしく声をかける小さな祈り。
食べることは、心にそっと明かりを灯す時間です。
「台所」は人生の還る場所
子どものころに母のそばで味見をした思い出や、
祖母がくれたおにぎりのぬくもり。
台所に立つと、そんな遠い記憶まで
ふわりと胸に戻ってきます。
梅雨のじめじめした日にはお茶を淹れて
窓を開けると、土の匂いが心に染みます。
夏には冷たい麦茶を飲みながら
汗をぬぐって小さくひと息つく時間が、
「もう大丈夫だよ」と背中をなでてくれるようです。
台所は、どんなときも何度でも還れる場所。
ここで手を動かし、季節を感じ、
自分を思い出すたびに、
「今日もここに生きている」と心がほっとするのです。
今日もここに生きている・・・という実感のまとめ
忙しい毎日の中で、
「生きている」という感覚は、
つい遠くに置き去りになってしまいがちです。
でも、台所で手を動かし、湯気を感じ、
あたたかいごはんをひと口食べるだけで、
私たちは何度でも「いま、ここ」に還ってこられます。
今日もちゃんと息をして、
ごはんを食べて、眠ること。
それだけで十分です。
どうか、あなたの台所にも
小さな灯りがそっとともって、
「今日もここに生きている」という
やさしい実感が、
あなたの胸に静かに広がっていきますように。
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