ひとくちごはんを口に運ぶとき。
「おいしいな」と感じたとき。
それは、ただ空腹を満たすだけの行為ではありません。
食べるということは、「生きることを選び直す」こと。
今日もちゃんと命をつなぐことを、自分にゆるし、受け入れているということ。
どんな日でも、“食べる”ことは希望の行為
気持ちが沈んでいる日。
何もしたくない日。
誰とも話したくない日。
そんなときでも、
おにぎりをひとつ食べる、
あたたかいスープを口にする――
それだけで、
「生きよう」とする静かな力が、そっと灯っているのだと思います。
食べることは、弱さではなく、強さ。
命に「YES」と言う、ささやかだけど揺るぎない意志なのです。
料理は、命と向き合うこと
台所で素材に向き合うとき、
それは“命のバトン”を受け取る時間でもあります。
野菜の土の香り。
魚のぬめりを洗う指先。
お米をとぐ水の冷たさ。
どれもが、
**「誰かのいのちが、私のいのちになる」**という事実を、
静かに思い出させてくれる。
料理とは、命を扱う神聖な仕事。
だからこそ、そこにはいつも「敬意」と「祈り」が流れています。
食べることで、自分を大切にする
忙しい日々の中で、つい「適当」で済ませてしまうこともあります。
でも、ほんの少しだけ手をとめて、
「今日は、何が食べたい?」と自分にたずねる時間をもてたなら――
それはもう、立派な“自己肯定”の時間です。
「わたしに栄養を届けよう」
「わたしにぬくもりをあげよう」
そんな風に、自分にそっと向けるスプーンやお箸は、
心の奥にじんわりと届いて、自己信頼の土台になってくれるのです。
最後に
食べることは、命をいただきながら、自分の命を選び直すこと。
どんなに小さな食事でも、
そこには静かな祈りがあり、力があり、愛があります。
どうか今日も、
食べることであなた自身の存在を、まるごと肯定してあげてください。
「わたしは、ここにいていい」
そう思える瞬間は、きっと台所から、食卓から、生まれていくのです。
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