
毎日のごはんづくり。
その始まりは、たいてい「お米をとぐこと」から始まります。
冷たい水に手を入れて、
お米の粒にそっと触れながら、くるくる、くるくる。
何気ないその時間に、
私はいつも、自分の心が少しずつ澄んでいくのを感じています。
手のひらと、米粒との会話
お米は、手でとぐもの。
ザラザラとした感触。
手のひらに伝わる冷たさ。
水の中でゆっくりと動く米粒たち――
その一つひとつが、
**「今ここにいる自分」**を、静かに呼び戻してくれます。
急いでいるときは、それに気づけないかもしれないけれど、
少しだけ意識を向けてみると、
お米をとぐ所作そのものが、**祈りのような“間”**になってくれるのです。
雑念を洗い流し、心をまあるくする
水が少しずつ白く濁っていく様子を眺めていると、
まるで、自分の中にたまったざわざわも、
一緒に溶けていくような気がします。
「あれもやらなきゃ」
「なんであんなこと言っちゃったんだろう」
「ちゃんとできてない気がする…」
そんな小さな不安や自己否定も、
お米をとぐ静かな時間のなかで、そっと洗い流されていくのです。
丁寧にといだお米は、きっとやさしい味になる
お米を丁寧にとぐと、不思議とふっくら炊きあがる気がします。
それはきっと、
手から伝わる「氣」や「まなざし」も、
ごはんの中に宿ってくれるから。
忙しい日や気持ちが落ち着かない日こそ、
ほんのひととき、お米と向き合う時間を持ってみてください。
それは、誰かのためではなく、
**「わたしを整えるための儀式」**なのです。
最後に
お米をとぐことは、
料理の前の「準備」ではなく、すでに始まっているひとつの祈り。
音もなく、水と米粒がふれ合うその時間に、
どうかそっと、今日の自分の心をゆだねてみてください。
毎日の繰り返しのなかに、
自分をやさしく整えてくれる神聖な“間”が、ちゃんとある。
それを思い出すだけで、
暮らしはきっと、もっとあたたかくなるはずです。
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